交通ルールの特殊性

私がいつも面白いなぁと感じていることのひとつに、

ルールは目に見えない

ということがあります。

人は目に見えないルールに従って生きている。

不思議だなぁ。面白いなぁ。

なんて、日々感じているわけです。

一方で、私たちがお互いの安全のためにも、守ることを義務付けられている交通ルール。

信号が赤になれば止まる。青になれば進む。黄になれば注意する。等々。

毎日無意識的に従っているというぐらい、さまざまな交通ルールが私たちの心に浸透しております。

そしてこれらの交通ルールは、

むしろ目に見えるようにされているという不思議さがあります。

たとえば、交通標識。

たとえば、信号機。

ひとたび街に出れば、

歩道にも、車道にも、

私たちの世界のあちこちには、

標識や信号機があふれています。

止まれとか。進入禁止とか。右折禁止とか。

これらの標識(デザイン)が目に入ると、

私たちは条件反射的に、

この交差点は一旦停止しないといけないんだ、だとか、

ここは駐車してはいけないんだ、だとか、

標識を見た瞬間に、自分の行動を制御してしまう。

こんな形で、私たちが目に見えるルール(標識や信号機)にしばられているのは、

道路交通に関する場面ぐらいではないでしょうか。

刑法とか民法は標識はありません。

窃盗禁止とか、略奪愛禁止とか。

街角でそんな標識を見たことなんかないですよね。

たしかに標識はない。

でもルールは厳然としてある。

標識がでてなくたって、窃盗は禁止だし、不倫も一応いけないよということになっている。

目に見えないルールが世界を支配していて、

私たちは基本的にはその目に見えないルールに従って生きている。

不思議ではないですか。

私は不思議に思うのです。

人間の不思議さを思うのです。

なぜ人は目に見えないルールに従っているのか。

それらの目に見えないルールは、一体どこにあるのか。

標識はない。

それでも従う。

結局、目に見えないルールは私たちひとりひとりの心のなかにあるとうことなのか。

本当に不思議だ。

もしすべての法律に標識をつくったら。。

世界が標識だらけになってしまうかもしれない。

そんな猥雑な世界はいやだなぁ。

でも実は。

私たちの心のなかも、すでに標識だらけになっているのかもしれないなぁ。

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